十津川の歴史

第三回目は「瀞八丁」です。

メニュー用GIF画像北山川 奥瀞の急湍

木津呂の集落から少し北山川を遡ると十津川村の景勝地として有名な「瀞八丁」があります。

紀伊国名所図会 熊野篇

瀞八丁

 北山川の上流、紀伊、大和、伊勢三国の境を為すところにあり一に玉井峡とも云ふ。

 瀞の字はキヨシと訓み古くは淨に通ず、国訓これをトロと云ひ、河水の靜かにたまりたる義に用ひらる。

 昔は此所を八丁泥など稱へて(讃えて)泥の字を用ひしはただ発音上濁音として 假用(かよう)せしに因るのみなれば、切離し呼ぶ時は清みて「トロ」と稱ふべきなるに、我地方往々ドロと訛稱するの非なること元より論を俟たず。

奥瀞

 更に川を泝りて小松より小森に至るもの之を奥瀞と為す、

 小松村は小森の西三十数丁にありて村居は北山川屈曲の中にあり、

 襲越の瀧、上の瀧、下の瀧、神護の瀧、一の瀧、音法の瀧など河中随所にありて、是より上流は石灘または飛泉の為船を上すを得ず、然れとも峽谷はさながら武陵の桃源に似ていけどもいけども盡きる(尽きる)を知らず、

 人跡まれなる熊野の奥此の絶勝この奇境、奥瀞の神秘を尋ねてころ茲に始めて瀞峡の全貌と其の眞價を知り得べきなり。

紀伊国名所図会 (熊野篇)